登戸・向ヶ丘遊園は
1988年からはじまり、
2025年完了に向けて行われている
土地区画整理事業によって、
大きな転換期を迎えようとしています。

登戸は川崎市北部の多摩区の中心地に位置し、
北は多摩川、南は多摩丘陵と
自然に囲まれた緑豊かな街です。
多摩丘陵には、
川崎市最大の公園である生田緑地があり、
日本民家園、岡本太郎美術館、
藤子・F・不二雄ミュージアムなどが点在し、
憩いの場として親しまれています。

歴史は古く、江戸時代の登戸村は、
多摩川と旧津久井街道(世田谷通り)の
結節点としてにぎわい、

旅籠や居酒屋などが集まる"宿場町"でした。
とりわけ多摩川は、奥多摩から江戸に
木材を運ぶ重要な交通路であり、
登戸にはその筏運上所(料金所)があったため、
多くの通行者が立ち寄ったとされています。

稲田郷土史会提供

明治30年〜40年頃の津久井街道の町並み 稲田郷土史会提供

現代に入っても、
小田急線(新宿~小田原)と
南武線(川崎~立川)の開通や、
民間企業による大規模な宅地造成、
また向ヶ丘遊園の開園(2002年に閉園)に
よって、
街としての発展を遂げていきますが、
人口が急激に増えはじめたことで、
都市インフラなどの整備が追いつかず、
1980年頃から生活環境の悪化や
災害の危険性などが指摘されるようになります。
こうした課題解決のため、
1988年に川崎市によってはじめられたのが、
いまの"登戸土地区画整理事業"です。

稲田郷土史会提供

土地区画整理とは、街全体を更地に戻し、
そこに新たにビルや道路をイチから作り直す
ものであり、
対象エリアは、登戸駅から
向ヶ丘遊園駅の北側にかけて、
約37.2ヘクタール
(東京ドーム8個分相当)にのぼります。
1988年以降、計画は段階的に進み、
現在は駅の周辺(登戸駅・向ヶ丘遊園駅)を
残すのみとなり、
2025年頃には事業が
完了する見通しです。
また大規模な再開発ビルも複数計画されており、
土地区画整理事業の完了と併せて、
川崎市北部有数の新たな商業圏が
形成されようとしています。

こうした変遷をたどって、
江戸時代から現在へと
街の歴史は紡がれてきました。
その文化や暮らしを受け継ぎ、
より豊かな街へ。
いま、登戸は、新しい一歩を
踏み出そうとしています。